九州半周編2/4 吹上浜

2016/4/9(土)

同じ日に宿に泊まっていた、Iさんと連絡先を交換した。
彼とは偶然にも同郷・同業だったため、話が合った。
業界的には私の先輩ではあったが、仕事をやめかかっている私からすると、現在の私にとってすでに仕事は前職であり、前職と言うのはプロをかじった趣味のような位置付けになってしまう。
だから前職の話をしていると、趣味の話をしているような気分になってしまう。

彼は薩摩富士と言われる開聞岳に登るそう。
その山見たさに走ってきた長崎鼻。
数十年前に観光地化されたのだろう。昭和の風情が漂う。

8時過ぎに着いたので本来有料である駐車場の受付にはあたりには誰も居ない。
朝の空気と土産物屋の光景が不似合いではあったが、どこか懐かしい感覚に陥る。
駐車場所を物色している私に、開店のためシャッターを開けたばかりのおじさんが鹿児島弁で手招きしてくれた。
「ここにオートバイいれとき!みちょくけん」
と言い、彼は大きく手を上げ誘導してくれた。

おじさんは
「何かほしいもんあったらウチで買い物してくれたらいい」
と言い、にこやかに送ってくれた。
岬のほうへ約100mほど。歩いていくとやかましい中国人ツアー客に追い越された。
あまりにも団体で岬へ向かう。先手を打たれたので、すぐ脇の階段に腰を下ろし正面に薩摩富士を眺めることとする。

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長崎鼻から眺めた開聞岳

曇り空を掻き分けて現れたそれは水墨画のようだった。
いわれのごとく、まるで富士山の格好をしている。
両親に写真を送る。
「いまここだよ」と送ると、母からは
「おはよう。桜島ね」と返信が来た。
違うけど、そこから見たら似たようなものだね。

開放感に、しばらく海と山と空を交互に眺めていると、足元の直ぐ下まで小さく波打っていた。


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R226のどこか 南九州を代表するような景色


この辺りで未踏の地には指宿の隣町(というには少し遠いか)頴娃町を越えて、枕崎がある。
枕崎と言えば、港町。カツオ漁が有名だ。
カツオラーメンなるものがあるので食べてみたかったが、開店時間まで一時間以上。
私の脳内スケジュール帳と相容れないので今回はやめておく。
次回開聞岳登山とともに再チャレンジだ。
山道具を担いで、九州新幹線に乗ってみよう。
駅舎を新築してしまった日本最南端の枕崎駅は、無機質でどこと無く興ざめだった。

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「そんなの知らないヨー!」とばかりに、カツオがすいすい。



さて、次に目指すのが今日の最たる目的地、鹿児島県薩摩半島は西部に広がる吹上浜。
地図で見るととても美しい弓形を描いている。
”いちき串木野市・日置市・南さつま市”の3市にまたがるという日本三大砂丘の一つ。

なぜここに来たかったのかというと、私の父が会社員時代働いていた場所だというからだ。
42年ほど前、彼はこのあたりを拠点に生活していたと言う。
そんな話を聞くと、名も知らなかった町がぐっと身近に感じる。
とは言うもののどこが正確な場所かわからない。
すでに平成の大合併以降世代の我々は、旧史の町名など注意深く探さないと存在も知りえないのである。
特に南部九州の合併はひどい。
平気で5や10や15の町が一つの市へ転換されている。

話は逸れたが、とりあえず吹上と名のつく県立吹上浜海浜公園へやってきた。
100ha以上ある巨大な公園だが、春を通り越しつつある陽気が園内に立ち込めている。
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予想外のツツジの狂乱に目が眩む



ここは南九州、4月初旬とは思えない日差しに否応なく革ジャンを脱いだ。
赤白ピンクとツツジがこれ見よがしに咲き乱れる園内から、海を見渡せる場所を探すべく一人エンジニアブーツで歩いた。
レンタサイクルもやってるらしい。
果てが見えない程長い道が園内を突っ切っている。
サンセットブリッジなんて洒落たものもあるが、どうやら二輪では行く事が出来ないようだ。


その道を渡ったところに、海まで↑ とある看板があり、背後の松林の向こうに砂浜が広がっていることが予想された。
松林は鬱蒼と広がり、たまに鳥の声が聞こえるだけで、人の気配がない上にそうでないモノの気配を感じた気がした。
よく見ると足元には、松林からつい最近落ちてきたであろう真っ黒な毛虫が散乱していた。
私は冷や汗をかいた。
今こうしている間にもコイツラは私の頭に背中に落ちているかもしれない。
私は踵を返し、変に刺激を与えないよう、また足元の仲間たちを踏みつけてしまわないよう息を殺して素早く歩いていった。

海を見るのはとうとう諦めた。

再び1時間ほど走っていると、青看板に吹上温泉右折と書かれていた。
阿呆のごとく条件反射でウインカーを出して、温泉の前に居た。

温泉と言ってももう50年ほど前からある施設が大半を占めている。
そのためか、立ち寄り湯の料金が最も安いと思われる公衆浴場に関しては、つい数日前である3月末に営業をやめていた。
とても惜しい。

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無念・・・。


その代わり、もみじ温泉という由緒正しき門構え・・といった趣の施設が営業していた。
聞くと100年以上の歴史だそうで、湯質も肌がすべすべとする気持ちの良い風呂だった。
料金も安く、ぜひとも続いて欲しい風呂屋さんだ。
脱衣室で薩摩弁をしゃべるおばあさんに話しかけられた。
一瞬何と言っているか全くわからず、異国の言葉とも思われたがどうにか意図するところがわかったので、受け答えは出来た。
洗い場でも丁寧に湯の出し方などを教示してくれた。
薩摩弁は、そもそも江戸時代に薩摩藩が他藩に諜報を許すまいと独自に開発したものだなんて話もあるけれど、なるほど納得これは同じ九州生まれの私にも難しいと思った。

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14時近くなった頃、やっと地場のものを手に入れ昼食にありついた。
一人でバイクに乗っていると、日中は先へ進もうとばかり考えてしまい(というか何も考えていないと言う説も)昼食は特に食べそびれてしまう。
前日もロクに何も食べていないのだ。
このソデイカ握りは美味しかった。ソデイカってどんなイカかと調べたら、巨大で割りと気味が悪いものだった。
こういう類のものを調べるときは、完全に消化を終えてから調べたほうが良い。
それと私は元来油物には弱いが、サクッとしてない方の画像の天ぷらは大好物である。
港の近くの市場とか、サービスエリアで見つけるタイプの天ぷら。

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阿久根市長島町にて 杉100%のゴジラ

黙々と走り続け、R389の橋を渡り阿久根市長島町に入った。
橋を渡ったとたんに島風情が広がっていたが、島の入り口付近は不思議と交通量が多かった。
時間的に天草まで渡ることができそうだったので、長島町と橋で繋がっている諸浦島の北部に位置する諸浦港16:35のフェリーに乗ろうと決めた。
長島町という町は本当に不思議で、見たところ町役場や道路整備に多額の市税が投入されているようだったが歩行者は誰一人として見かけない。それどころか島を進むほど、車ともほとんどすれ違わなくなった。
どこぞの議員の力を感じる・・
諸浦港に着くころには、不安になるほど車両を見かけなくなった。
だが小さな看板に従って標高を下った先にはちゃんとフェリー乗り場があった。
時刻は16:00間に合ったが、予想通り周囲には売店など時間のつぶせそうな施設はない。
車両の列に滑り込んだ私を見て、地元のおじさんが「今日は暑か!」と話しかけてきた。
すると続けて誘導棒を持った係員の男性が近づく。申し訳なさそうな顔で彼はこう言った。
「もしかして天草に行こうとしてます?土曜日は14時台で終わりなんですよね・・」
!! 
その言葉を聞いた私は青ざめた。今日は天草に泊まるつもりだ。
陸続きで水俣・八代と回るか?いいや、無理だ。陽は傾いてきている。途方もない移動距離に目がくらむ・・
頭の中に浮かべたぼんやりとしか記憶していない、熊本から切り離されたような天草の島々が浮かんだ。
「蔵之元港のフェリーなら間に合うかもしれません。」
再び男性の声がして現実に引き戻された。
なるほどそっちのフェリーがあった!早速ケータイで検索してみるも、移動時間に驚く。
現在16:05 フェリー発16:40 所要時間31分 出発時刻より早くに着いていないと乗れないだろう。
果たして間に合うのか!?
「ありがとうございます!」
考えるより先にギアを入れていた。
焦る。
焦る。
この辺りには宿はまったくと言っていいほど存在しない。
道を間違えてはいけない。手に汗を握る。
中学生の頃、100m走で自分の体の四肢よりも心臓が先を進んでいるような感覚になったが人馬一体、事故をしてはいけない。
誰も見えないのにキンキラキンの町役場を右折して不安になるほど進み行けば港があった。
間に合った!
私は港に着いた瞬間、船より早く天草に到達した。
というわけで無事天草の地を踏むことはできたが、今度は宿が決まっていなかった。
ここはあらゆる施設が少ない。安宿も例外ではなかった。
港に観光案内所が併設されていたが、係の女性に尋ねたところ予感的中。
予算は3000円以内。海外と比較すると、日本にはこの幅の宿が少なすぎる。
人件費を考慮すればそれは当たり前のことかもしれないが、ケータイで再び検索。
夕食をとる場所も少ない。あまりの情報不足に、せっかく天草に渡ったが何も食べずに熊本市内まで走ることも考え始めた。
するととあるバックパッカーズホステルに電話してみると予約が取れた。
受付してくれた女性は親切に対応してくれてしかも声が可愛いので、わくわくした気分になった。
目的地の一つである崎津集落にも通りがかり、指宿から走り続けてやっとたどり着いた天草の地。
夕暮れの中、ようやく胸は高鳴りはじめた。
ところが夕食を摂ろうとした人気のチャンポン店は18:00閉店のはずが、やっと店の前に着いた17:45時点に店の暖簾は既にすりガラスの向こうに仕舞われていた。
落胆した。
通りには住民と思われる人々が数人歩いていた。軒先には夕飯の匂いが漂っている。
暖簾は仕舞われた。住民は夕飯の仕度がされている家に帰っている。
二気筒の排気音をボコボコと鳴らしている自分はなんだかその光景に似つかわしくないように思われ、いたたまれなくなった。
仕方なく宿のある場所を通り過ぎ、苓北町まで行くことに。
スーパーで買い物をして店を出ると、辺りはすっかり夜の帳に包まれていた。

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天草R389鬼海ヶ浦付近のトンネル
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晴れていたら絶景であろう夕陽



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# by aroundjapan | 2016-04-23 20:38 | 2016 九州半周編 | Comments(0)  

九州半周編1/4 宮崎県を出る

2016/4/8(金)

この日からバイクに乗ろうと決めていた。
旅は3、4日
最終目的地は地元の福岡。

有給休暇の取得を始めてはや一週間が経っていた。
家の中の自分のものを整理し過去と向き合い続けるのには、もううんざりしていた頃だった。

この日はあいにくの雨だった。

だが決めていたことなので遂行することとした。

通る道も決めていた。

だがどこに行くかは大体しか決めていなかった。
と言っても初日なので宿だけは前日に押さえていた。
そこまで着けない時はまたそのとき考えよう。

宿舎を出た頃には雨が降り始めていた。
カッパを着込み、チョークを開いて暖気を完了。山の中へ突っ込んでいく。
車を運転するのは毎日のことだが、バイクにまたがる事からは2ヶ月ほど離れていた気がした。
いつもより少しだけ緊張し、グリップを握る。
路面は濡れている。しとしと降り続く雨に染まり、自分の身体も路面の温度と湿度に近づいて一体化していくようだ。

遠くには標高はそれほどないが山と山が連なり、濃い霧が立ち込め、雲の上にいるようなダイナミックな気分が味わえた。
途中で道端にサルが死んでいた。
職場の近くでもサルは見ていたが、はねられて死んでいるのを見たのは初めて。
しかも目を見開いていて、この世にすがり付いているようにも思えた。成仏できますように。
このあたりにはキジも出現する。
20数年、九州で暮らしていたがキジを見たのは宮崎に来てからだ。
同じ九州とはいえ、知らぬ土地で生活すると見聞が広まる。
福岡などの北部と、鹿児島宮崎の南部では気候も言葉も全く違う。

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小一時間ほど走ると、日南市の市街地へ抜け、海辺の港町へと導かれた。
ここには車でよく来ていたので、以前にも来たことがあるスーパーにて遅めの朝食を調達した。
甘辛く煮た日南とりをほおばる。
山間部を抜けて体温が下がり腹も減っていたため、少し自分の身体が活発に機能し始めるのを感じた。

予想していたとおりに事が運んだので、余裕が出て以前行ったことのあるカフェを目指した。
再び山間部の国道で、さつまいも畑やサトイモ畑を駆け抜けるうちに串間へ出た。
カフェは寿司屋の向かいだ。まだシャッターを開けたばかりのモヒカン頭の店主に、バイクを見せよう。
カフェの店主も私と同じ福岡の出身なので話しに花が咲いた。
宮崎には移住してきている人も多くいる。
そして大体そういった人たちがこのようなおしゃれなカフェをやっているのだ。
自分には親類や友達のいない土地で、ゼロから商売始める根性はないから尊敬する。
神戸から越してきたお客さんも加わって、一時間以上居ただろうか。
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出発し、フェリーの港を目指す。
ここも前回ツーリングできていた場所だった。
鹿児島県南大隅、ここがまたイイ感じの道路が広がっている。
前にも後ろにも誰も居ない。
たまに追い越す赤い車はトラクター。

左に進めば内之浦ロケットセンターだが、今日は港へ一直線。
フェリーには滑り込みと思われたので、車室にバイクを停め、乗船チケットを買いに走って受付へ行くと、待っていたおばちゃんが「そんなに急がんでもいいよ~」と言ってくれてホッとした。
ろくに昼食を摂っていなかったので腹が減った。
リュックに入っていたジャイアントカプリコをかじったが、チョコレートなんて空腹時にはあまり効果がなかった。
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この船に甲板はないので、通路に設置されたベンチで記念すべき初日の昼食を撮影していたところ、隣の老夫婦に怪訝な眼で見られた気がしたので、食べ終えて大人しく室内に戻った。
もっと炭水化物の塊みたいなものを食べたかったが、30分程度の航行では売店もそういうものを提供する気はなさそうだ。
諦めて仮眠することにしたが、テレビの音がうるさくてあまり寝た気がしなかった。

着いた港には水産加工物みたいな匂いが立ち込めていた。
鰹をいぶす液体の匂いだろうか。
半島から半島へ移動したが、ここは鹿児島県のままだった。
こっちの半島にはずっと昔に来たことがあったが、右も左もわからないのでマップを繰り地図を暗記しようとした。
宮崎県でえらそうなツラしてやがる(?)国道269号線の起点がすぐそばにあると知ったので行ってみたが、起点の印も何にもなく特に感動のない起点だった。
気を取り直して指宿の中心地を目指した。
アーケードっぽい道路を通り過ぎると、私の記憶にある指宿よりずいぶんと寂れている気がした。
宿の前と思われる場所に着くと、ソープランド秘宴という大きな看板が目に入った。
一瞬ビビったが、すぐに宿を見つけ、バイクを停めるとオーナーが出てきた。
第一印象で気難しい人だと思った。
安宿のオーナーはこういうタイプが多い。
私が今年8年目を迎えるバイク人生でライダーハウスを敬遠してきた理由がこれだ。
しかし職を失う私に、背に腹は換えられない。
安さに免じて多少のことは我慢するのだ。
思惑通り、その日の布団はフカフカで暖かく快眠できた。

逆らうとめんどくさそうなので、オーナーの意向に従いバイクは停めて徒歩で観光することにした。
港で座り込み海を眺め、住宅の間にポツリと営業しているお菓子屋さんで購入したシュークリームをほおばった。
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2時間ほどうろつくと、日も沈み、流石に疲れてきたので最近開業したと思われるお風呂屋さんに入った。
立ち寄り湯300円で露天も付いていた。
露天の先客の女性と話していると、娘が私の地元の隣町に住んでいるということだった。
意外と世間は狭い。
思ったとおり、店は開業したばかりで屋号の入ったボールペンをくれた。

夕食は(さっき職を失うとか言った割りに)お酒を飲める料理屋さんでいただいた。
実はご飯は近くの弁当屋で買うといいなんて勧められていたのだが、ろくに昼食も摂れていない今の自分にとって食事は重要な観光資源だった。それはないだろう。
自身は酒は一滴も飲まないのだが、こういうところには美味しいご飯もあると言うもの。
少し贅沢をしてお魚とご飯で定食のようにして食べた。
先付けのほうれん草のおひたしも出汁が非常に美味しく、トビウオのすり身揚げは口に含んだ瞬間唾液があふれてきた。
ブリのカマは酒飲みに合わせたのだろうか、やけに塩辛かった。
仕方がないのでご飯を注文した。料理が美味しいので、朝食に食べるおにぎりも購入した。
梅とシラスのおにぎりを食べていたら、宿のオーナーにやけにじろじろ見られた。
宿泊客の愚痴なんていっている暇があるなら、その町にある楽しいことをどんどん教えて欲しいものだ。





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# by aroundjapan | 2016-04-22 23:54 | 2016 九州半周編 | Comments(0)  

ブログを立ち上げた

2016/04/22(金)

ついにというか、とりあえずブログを立ち上げた。

これで私の立ち上げたブログは通算何本目だろうか(ブログの数詞は本?)
ブログという媒体がまだ新しかった十数年前が昨日のことのように思い出される。

私がインターネットをはじめたのは10歳に満たない頃だった。
インターネットを通じて今まで多くのことを学んだ。
画面の向こうの顔も本名も知らない(当時はニックネームのようなハンドルネームで呼び合っていた)まだ見ぬ人と知り合い、個人ホームページを立ち上げ、親しくなった人物とは個人的にやり取りを行った。あくまで顔も本名もさらさずに。

中学生の個人ホームページなんて、大人になった今では全く興味のないジャンルだが周囲の大人たちはよく相手にしてくれたもんだ。
そういったやり取りを通じて、コミュニケーション能力を身に着け、十代前半にしてオモテに出す面と出さない面との区別が出来ていた。

今の日本におけるインターネットと言えば、本名を公開し、知り合い同士で馴れ合う場所となってしまった。
個人情報の取り扱い方を知らない子供たちが、残念ながら事件に巻き込まれたりするようになってしまった。
プライベートとインターネットが混同しているのだ。
私がインターネットを始めた頃は、家族や現実生活での友達を差し置いて(良識を持って)自由に羽ばたける場所だったのだ。
間違いなく、当時の私にとっては自分の内面を開放し表現する場所だった。

今、パソコンを開くと誰が海外旅行に行っただの、誰と結婚しただの、どうでも良い情報がさんざ洪水のように押し寄せる。
自分がキーボードを叩くときにも、誰が見てるからこういうことは書けない、とがんじがらめになっている。

私はこれに全くもって耐えられない。
たまにフェ○スブックなんてハサミで切り刻んで捨てたくなる衝動に駆られるのだ。


そんな私もいい年になり、4月末で5年間勤めた会社を退職する。
現在は有給消化中。

勤め先の宿舎を引き払い、地元の地方都市へ帰ってきた。
ここはやはり私の居場所だ、とつくづく感じる。

これから自分の人生を立ち上げていかなければ成らない。
HTMLタグのようにコツコツとつなぎ合わせて、世の中に発信するのだ。




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# by aroundjapan | 2016-04-22 21:49 | | Comments(2)  

手続き関係

以下メモの続き。

●国民健康保険の変更

社会保険から国民健康保険へ切り替える際、社会保険の喪失証明書が必要。

とりあえず、区役所に行こう(アバウト)

減免申請する場合、6月に保険料が算出されるため源泉徴収票を持って、それ以降に早めに手続きに行く。


●年金種別の変更

厚生年金から国民年金に切り替える際、年金手帳が必要。

区役所に行こう(アバウト2)

こちらも減免申請する場合、会社から自宅に離職票が届くのでそれを持って早めに手続きに行く。

年金は5年前まで遡って納めることの出来る後納制度もあるため、とりあえず減免(というか分納)しておこうと言う腹。
定職に就いたら全額納めるつもり。
ちなみに3年以上遡ると利子的なものが加算されるそうです。

詳しくは日本年金機構のHPにて
国民年金保険料の後納制度(平成28年4月1日)

●失業保険の受取申請

これはちょっとややこしい。
職業安定所にて申請してから振込みまでに待機期間があり、会社の都合で失業した人は約1ヶ月、自己都合で退職した人は約3ヶ月経過しないと振り込まれない。
無貯金で無職になろうとなんて思っている人が居たら、日本では辞めといたほうがいいね(^^;
失業した日から1年間の時間制限つきで、退職理由と勤続年数に応じた給付日数となる。
給付金額は、会社員時代の給与額と年齢によって変動する。

詳しくはこちらのサイトにて
シツホ!

●生命保険の変更

忘れそうなのがこれ(^^;
私は会社員時代、職域団体保険に加入していたのでその延長プラン的なものがあると聞き、それにしようかと検討中。。

→5/2追記
保険料にほとんど変更なかったので、同じプランを続ける事にした。
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# by aroundjapan | 2016-04-20 22:05 | 2016 日本一周(準備編) | Comments(0)  

バイクの異動

2016/4/26(火)

支店に出向き、正式に退職書類を受け取ってきた。
意外にも周囲の方は温かく、恨み言を言われるようなことはほぼ無かった。
これからは自分で自分の生計を立てていかねば成らない。

以下メモ程度に。
バイクの異動に関して

●ナンバープレートの変更
W650は東京の大田区で出会い購入するに至ったため、当時住民票を写した住所の品川ナンバーであった。
ところがこの瀟洒なイメージのあるナンバー。
車は品川ナンバー♪なんてイイ気分で九州をうろうろしていると、休憩に立ち寄った道の駅なんかで、必ずと言っていいほど「品川から来られたんですか?」と質問されるのだ。
この間のツーリングなんて、品川ナンバーを見て品川から来たの?なんて聞かれると「宮崎を出て福岡に移動しているところで、今日の出発地は指宿で、今日の目的地は天草です。品川なのは、東京で買ったからです」
と答える。
・・それがけっこうめんどくさい。
そこで、九州を走り始めるようになって私はやっぱり福岡ナンバーにすべきだと思った。
そしてついに手に入れた福岡ナンバー。

ここまで余談。

準備するもの
車検証、住民票(住民票を何度か移している人は戸籍の附表も。)、印鑑(実印でよい)、ナンバープレート(県外から引っ越してきた場合)

行く場所
該当地域のナンバープレートを管轄している陸運局(福岡ナンバーなら福岡運輸支局)

注意点
戸籍附表は何度か住民票を移したことのある人なら、住民票と合わせて提出を求められる。
私は運輸支局の窓口で知ったので近くにある郵便局で発行したが、時間ロスになるので住民票と同時に手に入れておこう。
二輪は希望ナンバー制度が無いので、キリ番は期待しないどこう。
窓口の人は早く帰りたがっているので、受付終了時刻の1時間前には受付を済ませておこう。
ちなみにOCRシートの購入(20円)、戸籍附票の発行(300円)、番号標代(570円)などで全ての金額900円程度で済んだ。
自動車はプレート2枚あるし、もっとかかると思う。
手続きがスムーズに済んでも、1時間は見ておいたほうが良い。

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バイバイ、品川ナンバー。

●ナンバープレートを変更したら、その後すること

○自賠責のナンバー変更、住所変更

準備するもの
印鑑(実印でよい)、自賠責保険証明書

行く場所
自賠責を契約している保険会社の営業所

注意点
待ち時間が意外と長かったが(20分程度)、記入することは少ない。
氏名の漢字が間違っているのが気になっていたのでついでに訂正してもらった。

○任意保険のナンバー変更、住所変更

契約保険会社にもよると思うが、電話で変更できた

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# by aroundjapan | 2016-04-19 21:34 | 2016 日本一周(準備編) | Comments(0)