カテゴリ:2016 池島炭鉱( 6 )

 

九州編 佐世保バーガー


天主堂の鐘がなり、ローマ法王も宿泊されるという宿での目覚め。


税込2000円で朝食のクロワッサンとコーヒーはサービスという素晴らしい施設。
チェックアウトをしてテーブルに着く。
初めて泊まった日のことを思い返す。

去年の春、日本一周をするという学生時代の友人と長崎まで走った。
理由は無く、休日のたびに、ただ反射的に乗りたくなるのだ。
その友人も私が旅をしている間に結婚してしまい、もう近くには居ない。
これからは今までのように一緒に走り回ることが出来ないのかな・・なんて考えながらコーヒーをすすった。


b0367657_16040822.jpg


漫画を読み漁っていると席に着いてから一時間経とうとしていた。
「ちぃーす。。」
見上げると髪ぼさぼさのふぁんすぃー。
パンを貰えることを伝えたが、どうやらこの男は朝食を食べなくても平気なようだ。


市内の別の宿に宿泊していたケンさんが来ると、早速歩いて出かけることに。


b0367657_11562561.jpg
平和記念公園は徒歩圏内にある。
前述のとおり小学生か、もっと前から何度となく来たことがあるが、今回は朝9時にもかかわらず中国・韓国の観光客でごった返していたので驚いた。
みんな同じパスケースみたいなものをぶら下げているのでわかる。
ピースして陽気に写真撮影しているが、彼らはどんな気持ちでここに訪れたのだろう。

明らかに被写体として我々を無断で撮影している人が居た。
観光客のマナーの悪さに辟易してしまう。

長崎原爆資料館には行ったことが無いので行きたかったが、午後に予定があるのでぼちぼち帰らなければならない。

原爆資料館は小学校の修学旅行のときに行程として選択できたが、当時子供の自分にはまだ早いと思っていた。
はだしのゲンなんかを読んでいただけに、とても実物や写真を見て冷静で居られないと思ったからだ。

大人になって初めて2年前の暮れに広島原爆資料館に行ったが、やはり大人になって行ってよかったと思った。
大学になってできた広島出身の友人と聞けたのでより身近に感じることが出来たし、自分の意思で行ったので、胎内被爆者の男性が原爆ドーム前で有志で話していたのも聞くことが出来た。

小学生の時分に原爆の詳細な話を、冷静に理解することは少し難しいかもしれないと私は思う。
自らを確立したのちに詳しく触れた方がいい事の一つかもしれない。

b0367657_16045379.jpg

左から私のカワサキW650、ふぁんすぃーのホンダシャドウ400、ケンさんのヤマハTT250R
どのメーカーも丸目はかわいらしいね。

私はもうイチ抜けたが、旅人どうし次回会うことは無いかもしれないという心理の中、一時間ほど駄弁って解散。

ふぁんすぃーと私は同じ方向だったので、ケンさんと別れた後インカムで話しながら走行。
長崎特有の、山の斜面にはりつくような家々を見て興奮する彼を見て私も満足した。
青看板に諫早と出てきた辺りで私は左ウインカーを上げる。

信号が青に変わり、自動車の列は動き出した。

私が手を振っているのが見えているかどうか確認できない。
200mほど行った辺りで音声は途絶えた。
ふぁんすぃー、元気でね!


b0367657_16050092.jpg

小雨は土砂降りに変わり、大村の広域農道を駆け抜け、北上すると佐世保バーガーの店を見つけたので腹ごしらえに入店。
ずいぶん身体が冷えていたのできっと唇は紫色をしている。

少し待つと佐世保バーガーと揚げたてのフレンチフライの登場。
コーヒーもついてきた。
昔食べたことのある佐世保バーガーの某有名店より美味しかった。



b0367657_16051769.jpg

店を出るとJTの懐かしい灰皿が置いてあった。
赤錆が鉄板を侵食していくように酸化して、私もだんだん年をとる。




ランキング参加してます。良かったら1日1回押してください。
にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周(バイク)へ
にほんブログ村
[PR]

by aroundjapan | 2016-12-15 16:11 | 2016 池島炭鉱 | Comments(4)  

九州編 長崎市内観光

対岸の港に着いてからもグダグダと喋る私たち。
特にひとり旅のヨシダさんはせっかく仲良くなれた同世代の仲間と離れがたい感じがしていた。
仕方がなくGSに跨り、佐賀方面へ出発したヨシダさんに手を振って見送る。

ふぁんすぃーと私は長崎市内を目指す。
今日は市内観光の日だ。
昨日と同じ国道をずっと辿っていけば市内に入れる。
免許を取って早10年経とうとしている私の頭には、九州の大きな地名は頭に入っているので、郊外を移動するときにナビは要らない。


b0367657_13045720.jpg


今朝はとてつもない快晴で、海も空も真っ青。
インカムでふぁんすぃーが「いいっすねぇ!最高っすねぇ!!」と言う。
カーブを曲がる度、視界に広がる景色に私も歓声を上げながら進むと
あっという間だった。

長崎市内までの数十キロで終わらせるのは実にもったいない天気だが、雨天よりは観光しやすいので堪えよう。
市内で駐輪場を探し、数十分うろうろした末高架下のいい場所があった。
駅まで歩いていける距離で、個々のスペースに余裕があり施錠できるので積載の多い旅バイクを停めやすくてありがたい。

ふぁんすぃーは旅中に知り合った仲間の中でも観光地嫌いで、この旅においては市内観光などもってのほか!という男らしい(?)スタイルを貫いていたのだが、福岡を観光してもらったので長崎も私がリードしつつ見てもらおう。
・・などと思っていると、彼は路面電車の一日乗車券を購入していた。
かわいいじゃないか。笑

私自身は、長崎市は頻繁に訪れている。
毎年2月に市内の中華街を中心に行われるランタンフェスティバルは幼いころから何度となく訪れている。
去年から数えると車やバイク、公共交通機関で4、5回目の訪問となる。
さっそく路面電車は賑橋で降りて、眼鏡橋に到着。
停留所を降りたところで住民の女性に声を掛けられたので、彼を指さし「彼、岐阜から来たんですよ」と言うと目を丸くして驚いていた。
でも彼女は嬉しそうに「眼鏡橋見て行ってね」と言う。
岐阜の人が九州を観光しに来てくれるのは私も嬉しい。

b0367657_13045765.jpg


行く前は冴えない反応だった彼も、眼鏡橋の上に立ち写真を撮ったり、石橋の方に自慢の一眼レフを向けてバシバシ撮影するのだった。


b0367657_13045831.jpg


昼時になったので商店街の脇にある、江戸時代より150余年の伝統を守り続ける吉宗(よっそう)へ。
いまの若い人はあまり食べに来る場所ではないようだが、茶わん蒸し好きらしいふぁんすぃーは喜んでくれた。
これでも小ぶりサイズの茶わん蒸しは、日替わりランチとして提供される。
曜日交代のおかずは豚の角煮だった。
角煮が大好物の私は、ショーウィンドウのサンプルを見てガッツポーズを取った。

二階に通され、座敷席で和食ランチを食べられるのに1000円程度とは、他の地方ではあまりない事と思う。
その為か、周囲には年配の日本人観光客のほか、アジア系外国人の家族などが次々と入れ代わり立ち代わり訪れた。



b0367657_13045822.jpg

満腹になったところで新地中華街へ。
横浜中華街、神戸の南京町に並ぶ日本三大中華街の一つだ。

幼い頃の私は”中華街=長崎のここ”と思っていたので、高校生の頃に横浜中華街を歩いた際は吃驚仰天だった。
横浜のそれはとても規模が大きい。

それに引き換え、長崎のココは”建物の街区4ブロックに囲まれた十字路が中華街”である。
中心から東西南北全方向に歩いても250メートルしかないらしい。

こじんまりとした中華街でも、ランタンの赤に照らされた異国の見慣れない雑貨や爆竹・パンダ、美味しい食べ物、テーブルの上に鎮座する豚の頭・・は幼い私を魅了するのには十分だった。
お蔭様で20年以上経った現在もこうして通っているのだから。

b0367657_13045911.jpg

ふぁんすぃーに麻花巻(マーファール・よりより)という中国のお菓子を食べてもらった。
小麦で出来た乾パンのような食感で噛む程に甘みが増す。
私の母が好きで昔からよりよりと金銭餅は馴染みのお菓子だったのだが、ふぁんすぃーに食べさせてみても大した反応は無かった・・。笑

b0367657_13045949.jpg

500mほど歩いてオランダ坂へ来た。
ここまで路面電車に一回しか乗っていない。

坂よりも先に目に入った南国っぽい樹があるのに反応するふぁんすぃー。

これはビロウかな、と私がつぶやくと、彼は「宮崎っぽい樹を先に見てもうたわー!」と言う。
九州ではそこらじゅうで見るよ。と言い、話していると彼は宮崎で国道220号(通称フェニックスロード)を走りたいんだと言う。
あそこはフェニックスが中央分離帯にたくさん生えてるから追いかけてれば走れるよ。と私が言うと、彼は「フェニックスって樹の種類やったん!!?」と驚く。
ああいう全部一緒に見える木ってフェニックスとかビロウとかソテツとか椰子・・っていっぱい種類があるじゃないか、と言うと
「そうやったんや!!なんかフェニックスって言葉のイメージだけで道路の名前がついとるんかと思った・・!」だって。
賢くなれてよかったね、ふぁんすぃー。

オランダ坂に話を戻すと、ここ東山手の丘の上には日本最初の女学校である活水女学院がある。
長崎では開国後も、出島交易のなごりで外国人をオランダさんと呼んでいたため外国人の通る坂をオランダ坂と言ったそうな。
ちなみに女学院敷地の東山手十二番館建物は自由に見学でき、ミッションスクールの歴史について学ぶことが出来る。
建物はグラバー園内にもあるようなバルコニー付でかわいらしい造りをしていて、結婚式の撮影を行っていた。

b0367657_13050098.jpg

海星学園の隣を通って孔子廟を覗きながら、大浦天主堂へ。
実は小学校の修学旅行が長崎市内の自由散策だったので、そのとき訪れたのが初めてだったが、年々観光客が増えている気がする。
見渡すとほとんどインバウンド旅行者のようだが。

デジカメで天主堂の外観を上手く撮れた。
階段の途中には、キリスト教の弾圧を経たあとの日本で宣教師が隠れキリシタン(といっていいのかな?)を再度発見して喜ばしいという内容の記念碑が立っていた。
こんなものが存在することを知らなかったぞ。

拝観料600円を支払うと冊子が手渡される。全頁カラー印刷で割とコストがかかっていそうな冊子だった。
宗教施設のため内部は撮影禁止。
前回は天草の崎津天主堂を見に行ったが、学生の頃訪れたヨーロッパでは大聖堂を見て回った。
キリスト教徒ではないが、なにか神聖なモチーフを持った建築は美しいと思う。
大浦天主堂はステンドグラスの色が鮮やかだった。

直ぐ隣のグラバー園に行くと言うふぁんすぃーと一旦分かれ、市内に住む友人と娘に会いに行く。


b0367657_13050040.jpg

路面電車の運転席を背後から見つめるのが好きだ。
信号待ちで、保線工事をしている作業員を見つけた運転士は「何時に終わりそう?8時?」と手で合図をして「なんとか間に合うかな・・微妙」という返事に対し「がんばって!」みたいな会話を身振り手振りのジェスチャーでしていて、見ていると和んだ。

急いで路電に乗ったので汗をかいた。


b0367657_13050033.jpg

友人にジェラートをご馳走になる。
ありがとうございます。

友人の娘はまだ「まんま」ぐらいしか言えない令の子だったが、私が「ねえね」第一号だったらしく一生懸命遊んだ甲斐があった。
毎日こうして過ごしている主婦の方々はすごい。
旦那さんは遅くなるそうなので、夕飯まで一緒に頂いて寝かしつけ、次の場所へ急いだ。

b0367657_13050171.jpg

バイクで稲佐山のてっぺんまで駆け上がってきた。
先に来ていたふぁんすぃーと、すでに面識のあった日本一周仲間のケンさんが合流していた。
ふぁんすぃーはついさっきまで興味無さそうだった稲佐山の夜景に感動しきり。
ケンさんは親戚がこちらにいるそうで、何度も来ているようだ。

常に重そうなバッグを背負っているケンさんに理由を尋ねると「修行です」としか言わない。
しかもそのバッグからは旅の思い出の冊子やステッカーが出てくるのだった。
ついこの間やっとウエストポーチを身に付け始めた私には理解しがたい奇行だった。
日本一周している仲間にはそれぞれ拘りがあり、お互いに尊重しあっているつもりなのだが、やはり私も他人から見ればどこか変わっているのだろうか?

稲佐山から下る道がとてつもない傾斜で恐ろしかった。
ここにも住宅地があるが、このあたりで生まれ育っていたらバイクの所有を諦めたかもしれない。

市内の浦上天主堂向かいにある宗教施設に宿泊する。
ここは安いので長崎滞在時の定宿としている。



ランキング参加してます。良かったら1日1回押してください。
にほんブログ村 日本一周(バイク)




[PR]

by aroundjapan | 2016-12-06 14:46 | 2016 池島炭鉱 | Comments(0)  

九州編 島の朝

目が覚めると、濃い青をした海の向こうに朝日の色は消えていこうとしていた。

いま眼前にある有機的なものは窓の向こうの海だけに思える。
ベッドに腰掛けたまま朝の挨拶をしておこう。


身支度をし、二人にメッセージを入れたが返ってこない。
始発のフェリーで島を出るのに変わりは無いから、一人で歩き出す。
残していたおにぎりを食べながら、港へ行く道を昨日と同じように下る。

b0367657_09162978.jpg
歩き出して五分と経たないうちに目の覚める光景が広がっていた。
だが周囲の静寂と朝日の暖かさのために、胸をざわつかせている私の方がおかしいんじゃないかという気分にさせる。

誰一人いない。
平静さを取り戻して再び歩き出す。

b0367657_09162946.jpg
そこが世界のどこであろうが、朝の光は全てを洗い流すような、包み込むような神聖さをもたらす。
この島は特に、急速に荒んで行っている最中だから明日にはシャッターは飛んで行っているかもしれないし、柱は朽ちて折れているかもしれない。
しかと目に焼き付けておこう。

b0367657_09163060.jpg
島に一つの簡易郵便局。
建物は朽ちて行っているはずなのに、今朝生まれたばかりのように見える。
青空が澄んでいるせいだろうか。

26年までは直営の郵便局だったそうだが、民間委託へ移管した際ATMも撤去されたそう。
島には当然コンビニもない。
島を旅行する人はあらかじめ現金を持って行こう。
もっとも、お金を使う施設も食堂と宿ぐらいしかないのだが…。


b0367657_09163031.jpg
発電所の煙突は違和感なく島に溶け込んでいた。
SOPHIAの未だ見ぬ景色を流しながら歩いて行くと、胸を打つものを確かに感じてしばし立ち尽くしていた。


b0367657_09163157.jpg
下り勾配のカーブを越えた所で下を覗くと倉庫か工場か。
左の方で、男性が車のそばにでて身体を動かしていた。
通勤のため外に出てきたのだろうか。


b0367657_09163203.jpg
鏡が池を挟んで港の向かいまで降りてくると、猫がいた。
人間の住んでいるところで、エサをくれる人の周りに密集している。
朝日を浴びながら伸びをして、音もなく歩く猫を眺める。


b0367657_09163204.jpg
池島に入るとまず目に留まる道路の真ん中に生えた樹木、その足元には浮きを利用したアートが笑っている。
夕方には不気味に見えたものも、なぜか朝の陽の光に晒されると毒気が抜けていた。
九州の南の島でも見た気がする。ふと蘇った。


b0367657_09163317.jpg
昨日猫が集まっていた団地のあたりも、よく見るとかなり痛みが激しい。
あと数年のうちに、居住することも難しくなるのではないか。


b0367657_09163382.jpg
港には小さい船が入ってきていた。
日が昇ってきている。
少しだけ伸ばしてある防波堤の先の目印が十字架に見えた。


先に来ていた二人と合流し、島に滞在出来て良かったと語る。

b0367657_09163494.jpg
帰路に着き次第に小さくなっていく池島を見て、堀之内さんやガイドの男性、銭湯で話した女性たちの顔や、母ちゃんの顔が浮かんだ。
みんなそのうち、島と引き離されてしまうのではないだろうか?
興味のある人は今のうち見に行っていただきたい。


ランキング参加してます。良かったら1日1回押してください。
にほんブログ村 日本一周(バイク)

[PR]

by aroundjapan | 2016-11-25 11:00 | 2016 池島炭鉱 | Comments(0)  

九州編 池島炭鉱その3

つづき

次は、海の見える展望台があるということでみんなで歩いて向かう。

b0367657_10014145.jpg
道中、かつての風呂屋があった。
かすかに見えている建物の一部には男湯の表札がついていて、辛うじて銭湯だったとわかる茂み具合。

b0367657_22221808.jpg
炭鉱労働者の慰霊碑の近くに展望台はあった。
すぐ近くの島と言うよりは岩礁が隆起してできた島々がすぐそこに見えた。
軍艦島は、入り組んだ陸地の向こう側のため見えないようだ。


b0367657_22221865.jpg
続いて、母ちゃんの店という島にただ一つの定食屋へ。
今夜のメニューを予約しておいた方がいいと、ガイドの男性が連れて来てくれた。
店の中にするりと入ってくる猫たち。
本当に数が多い。

b0367657_22221918.jpg
母ちゃんの店はラブリーなピンク色で飾ってある。
店主はもちろん母ちゃんと呼ぶにふさわしい女性。
「あんたたち、なん食べるとね。はよきめんね」
私以外は関東や中部から来ているので、言葉が微妙に通じていなかったらしい。
私がみんなのメニューを取りまとめて母ちゃんにお願いした。

b0367657_10014150.jpg
ベンチにも母ちゃんの孫か何かだろうか。
小さい女の子が貼ったと思われるプリキュアみたいなシールが付いている。

b0367657_22221955.jpg
店の奥には池島を訪れた観光客や炭鉱マニア?が思い思いの寄せ書きをしていた。
ここで一旦、今夜泊まる宿にもチェックインしておこうということになり、歩いて数分の島唯一の宿泊施設・池島中央会館へ。

b0367657_22222077.jpg

関東から来られたご夫婦はあらかじめ予約していたそうだが、私たち三名は当日予約だったため急いで部屋を用意して下さった。
男二人は一つの部屋に、私は海の見える角部屋を与えられた。
これで3384円なのだから気前が良い。
じっとしていると埃の舞うのが分かるぐらい西日が強く差していた。
同時に何も聞こえない静けさだった。
廊下に出ると、もうすぐ陽が沈むので気温が低くなった気がする。

私の部屋へやってきた男二人は「ああ、左の鏡の中に知らない人の顔が映っているよ」とか「夜は隣のリネン室から物音が聞こえるだろうね」とか言う。タチが悪い。
怖がる私を見て、ふぁんすぃーは腹を抱えて笑いながら「お嬢のキャラが崩壊していくんやけど」と言う。
別に私は怖いものがないわけではない。

彼らは散歩に行くと言うのでついていくことにした。


b0367657_22222095.jpg
港を親指と人差し指で挟んだような形の主要道路を下って歩くと、太陽は海に沈もうとしていた。

ふぁんすぃーは夏に青森で出会うまで、ヨシダさんに至っては今朝まで知らない人だった。
だが年の近い私たちはここでこうして下らない話をして、一緒に歩く。


b0367657_22222104.jpg
太陽が照らし、影は何倍にも伸びた。
ふぁんすぃーは影でポーズを取りながら遊び、ヨシダさんは突っ込みを入れる。
彼らは旅の只中にあり、私は終えてしまった。
それがただの数分の出来事であっても、いつまでも続けばいいのにと思ってしまう。


b0367657_22222277.jpg
ここでは都会のクラクションのような喧騒も聞こえない。
あるとしたら波の打ち寄せる音だけだ。
空間を阻むものがない島で、黄金色のススキは太陽を目一杯浴び見たことがないほど茂っていた。

b0367657_10014248.jpg
時間を忘れて太陽が沈むのを見届けたかったが、店に食事の予約をしていた。
この町には街灯もないため暗くなると厄介だ。
そろそろ戻らねばならない。


店ではすでに夫婦が食事を始めていた。
コップに水を注いで席につき、いただきますと手を合わせてオムカレーを頬張った。
カレーは懐かしく美味しかった。

b0367657_22222263.jpg
食後は島に一つの銭湯へ。
当時の遺産というか昔から使われているものだからか、百円で入ることが出来る。
昭和価格ではないか。
湯に浸かっていると宿で対応してくれた女性が入ってきた。
茶髪を束ねて、さっぱりと小慣れた雰囲気の人だ。
私たちの友人関係を説明すると、納得した様子で「そういうのもあるのね」と言っていた。
私もそういう出会いを自分がしているなんて信じがたかった。
旅は心を解放するらしい。
銭湯を出たら夜空にはたくさんの星が輝いていた。

宿に着くと、身体が大きいヨシダさんは腹が減った~と言いながら袋ラーメンを茹でて食べていた。
部屋に戻るとふぁんすぃーの姿は見えなかったので、同じ年の私たちは仕事のことなどをお互いに話していた。
すると、ふぁんすぃーは戻ってくるなり「星を見に行ってた」と言う。
案外ロマンチストな彼は面白い。
今日と言う日が終わりたくないのは皆同じだったらしく、スマホを使って懐かしいアニメのテーマ曲を流して当てるクイズを延々とやった挙句就寝。
夜中に目が覚めることはなくホッとした。



ランキング参加してます。良かったら1日1回押してください。
にほんブログ村 日本一周(バイク)

[PR]

by aroundjapan | 2016-11-22 07:13 | 2016 池島炭鉱 | Comments(2)  

九州編 池島炭鉱見学その2

つづき

午後は島を散策して17時台のフェリーで戻るはずだったのだが、今日は風が強くて17時台のフェリーは欠航になるそうだ。
つまりたった今、本日最終のフェリーは14時の便となったわけ。
現在時刻13時半。大変だ、フェリーに乗るなら散策することができない。

でもここまで来たのに炭鉱だけ見て帰るなんて、どうしてもしたくなかった。
私たちは相談した挙句、島でのんびりする選択肢を取った。

早々に今夜は島に泊まると決断を下したヨシダさんに誘導され、電話で島に一つしかない食堂と宿泊施設の予約を追加してもらった。

私たち以外に千葉から来たという若いご夫婦が一組。
早速ワゴン車に乗り込み、この先は炭鉱で働いていた別の男性にバトンタッチして炭鉱住宅(通称炭住)等を案内してもらうことになった。
ちなみに午後の部は追加で440円支払うだけで、関係者以外立ち入り禁止のエリアを、関係者案内の元じっくりと見ることができる。
池島に興味のある方はぜひ午前のツアーに参加し、泊りがけの計画をしてほしい。


ここには1,2軒だけ住んでいる。
その、ベランダの取れ方のイカしてる団地では人間よりも猫に多く遭遇する。

b0367657_23584641.jpg
朽ち方が三者三様、どれが標準形か分からない


b0367657_23584751.jpg
一階に住んでいる女性が毎日決まった時間にエサをくれるみたいで、集まってきた

どれもこれも、やけに目つきが鋭く美形とは言い難い猫たちだ。
もしかして猫も人間のように血が交雑した方が美形になれるのだろうか、と思った。
猫自体は可愛いとは思うが肉食で昆虫も食べるし糞尿の匂いが臭いので、あまりベタベタと触れあいたくはない。
b0367657_23584711.jpg
ワゴン車で連れて来てもらった炭鉱住宅、ここにある一棟にはガイドの男性も住んでいるそうだ。
建物が緑に包まれる様は、蔦の這うレンガの学び舎のようでどこか懐かしくもあった。
しかしここはそう言った瀟洒な印象とは程遠く、手入れなどされていない。
空き家ばかりのベランダをふと見上げると誰か覗いていそうで怖い。

b0367657_23584836.jpg
ガイドの指示のもと、実際に団地に入ることができた。
玄関ドアに石炭シールと、夜勤者による”安眠中 ブザーはご遠慮ください”の文字。
幼少の頃、こういった集合住宅に住む友達の家に遊びに行った記憶がある。
塗装の上に赤錆が浮き出た鉄扉を開けて展示用の部屋に入る。
b0367657_19215405.jpg

展示用とはいえ、痛みの激しい居室内の床板は我々の重みで抜け落ちそうな簡素さを足裏に感じた。
事実、居室どうしの境目部分の隅に乗るとミシミシと音を立てて沈んでいくのがわかる。

今でいうワンルームのように、一つ一つが小さい間取りの部屋には昭和を思わせる品々が並べられていた。
鮮やかな橙のポットや急須、一升瓶にここで暮らしていた家族の息吹を感じられる。
もっとも、シンク上の吊戸棚に置かれたボンカレーには作為性を感じずにはいられなかったが…

その角部屋から屋上に抜ける狭い階段を上がる。

b0367657_23584934.jpg
雑草が繁茂し十数年は放置されているであろう団地は群れをなし、ある種の不気味ささえ生まれ始めている。
ここにはかつての賑わいはない。だが確かに何百人・何千人と言う、労働者と家族の生活を支えていたのだ。
ただのコンクリートに変わり始める団地を前に、撮影を終え黄昏るふぁんすぃー。(ハートに他意はない)

b0367657_23585060.jpg
十字架に見える電柱

今では電信柱も、蔦が絡まり千切れてしまった送電線も用をなしていない。
ガイドの男性のように所々居住している人がいるので、隣の島から個々に送電しているそう。
上水道も同じ。
b0367657_23585071.jpg
海側が8階建て、山側は4階建てになっている格別に大きい住宅を見に来た。
階数の違うのはエレベーターを設置しなくていいとか消防法などの理由があるのだろう。

インフラのパイプを個々に作る必要のない、大人数収容可能な集合住宅は素早く建てることが出来て画期的なものだった事だろう。
こういった集合住宅では、使用済みの風呂の水は一か所に集められ、洗炭に使用されるため工場群の場所までパイプで送水されるらしい。
b0367657_23585168.jpg
次は第二立坑へやってきた。
実は当時の池島炭鉱は、島の真下と言うよりはむしろ海底で何キロも離れた場所で主に石炭を産出していた。
一番遠いところで10キロほど離れているらしい。
作業時間が短くなってしまわないよう、作業場所に素早く移動するのが重要だったという。
坑内にはマンベルトという作業員運搬用のベルトコンベヤがあったという。

以上のような理由から、第一立坑より掘削場所に近い、第二立坑があとになって設置された。
奥に見える大きな物が坑内に降りるための昇降施設。
b0367657_23585191.jpg
建物内部に入ると、巨大な巻き上げ機がみられる。
ワイヤーを引っ張り、一度に180人を運搬する、秒速10mの高速昇降機を動かしていたという。


つづく

ランキング参加してます。良かったら1日1回押してください。
にほんブログ村 日本一周(バイク)


[PR]

by aroundjapan | 2016-11-19 16:10 | 2016 池島炭鉱 | Comments(0)  

九州編 池島炭鉱見学その1

お久しぶりです。

旅を終えて数日経ったある日。
青森のねぶた祭りで仲良くなった仲間の一人、岐阜のふぁんすぃーが福岡に来た。
福岡を案内したのだが、その時彼は長崎の端島(通称:軍艦島)に行きたいとのことだった。

ところが現在軍艦島は世界遺産に登録され、見学と言っても決められた通路の中を歩くのみだ。
海上の荒れる日は島に上陸することすら出来ないという。
そこで私の行きたい島を勧めてみた。
それは、長崎の西海市から船で渡る池島と言う島だった。

この島も端島と同じく炭鉱採掘の為に栄えた島である。
最盛期は7700人の人口を支え、2001年に炭鉱が閉山された。
現在も150人ほどの住民が住んでいるそうだが、その残された住宅のほとんどが空き家で廃墟を堪能出来るという。
さらに、島には食堂・宿泊施設・銭湯・信号機などがそれぞれ一つしか存在しない。
私は特別廃墟マニアという訳ではないが、保存状態の良い炭鉱に入れる事と未だに住んでいる人がいるレトロな島の風景を味わいたかったのだ。

一人で乗り込む勇気はなかったが、彼に聞いてみると興味があると言ってくれたので、炭鉱見学ツアーに申し込んでみた。

福岡市で彼と別れてから、また2日後には会うことになった。

朝6時に家を出る。
高速道路の高架下を真西に向かって進んで行くと、そのうち南側へ入って行く。
佐賀県に入った。
伊万里、有田と焼き物の町を進んで行くと西海の文字が見え、長崎に入る。

県道12号線の軽い峠道を楽しんで行くと、海へ抜けた。
すぐにフェリー乗り場が出てくる。
とても小さいものだったが、離島の多い九州ではよくみる規模の港だ。

ふぁんすぃーはまだ来ていなかった。
近場の駐車場にバイクを停め、雨が降っていたのでカバーをかけて港へ歩くと彼がいた。
いや、彼ともう一人ライダーがいた。
背が高く、BMWのGSから立ち上がった彼はヨシダさんと言う。
あまりに自然に一緒に居たので詳しい自己紹介をしないまま、切符を買い、30分の航路ののち池島に着いてしまった。


b0367657_18061994.jpg
池島案内図

池島の外周は約4km。島の名前の由来となった鏡ヶ池は港に姿を変えた。
ちなみに軍艦島は池島の”池”にすっぽりと収まる程度の大きさだったらしい。
なのに人口は池島より多かったのだから相当な人口密度だ。
炭鉱住宅にはプライバシーなど皆無だったのだろう。



船を降りると早速ガイドの年配の男性の元に20人ほどの参加者が集っていた。

b0367657_00380525.jpg
堀之内さんと言うガイドの男性は、ご自身も炭鉱に何十年も務めたと言うから、おそらく相当な年齢ではないだろうか。
炭鉱マンの粗野なイメージとは少し違い、とても闊達でハッキリした九州男児で、方言が自然に出る為、県外からの参加者も多いこのツアーにおいて解説を理解されない瞬間は少なくは無かったのかなと思う。

市の施設である建物に入り、受付の料金を支払い、池島炭鉱の歴史をビデオ映像で学ぶ。
一通り説明が終わると少し早めの昼食タイム。
炭鉱弁当のオプションがあるのだが、調べたところ内容の割に価格が今ひとつで、私とふぁんすぃーはコンビニでおにぎりを買って来ていた。
ヨシダさんはその800円する炭鉱弁当を注文していたため、見せてもらうとやはり…という内容だった。
しかもこれを坑内ではなく地上で食べるという味気無さ。
せめて外で食べさせてやってほしい。

その後ヘルメットにヘッドライト、硫酸電池と思われるバッテリーを背負ってトロッコ列車の停車場所まで歩く。
トロッコ列車に乗り込むと、動き出し炭鉱内へ入っていく。

b0367657_23391341.jpg

ピクニック気分で浮かれすぎな3人。


b0367657_18062297.jpg
電気職だったそうだが、トロッコに乗るときっと炭鉱に入る男の顔になってしまうんだろう。


b0367657_18062255.jpg
坑内はこんな感じ


b0367657_18062370.jpg
パネルを使ってマイつるはし?で差しながら説明をしてくださる堀之内さん。

県外から(というか他地域から)参加している人も多いので、みなさん熱心に聞いている。
でも参加者のみなさんは何を目的に来ているのだろうか?

他県の産業遺産を、実益の伴わない勉強のためにわざわざ見に来ているのだとしたらなんかものすごい。
廃墟ブーム?軍艦島ブーム?
私は日帰り出来る距離だし、生まれながら炭鉱は身近なものなので自然に受け入れられるけれど。経験した仕事も似た分野にあるし。
よくわからんが関東等からわざわざ九州に旅行に来てくれるのは有難い。

b0367657_18062344.jpg
鋼製支保工とか風管、ケーブルについて解説をする堀之内さん。

池島炭鉱は可燃性ガスであるメタンガスが充満しやすい土質だったため、火気厳禁・火花や静電気さえも引火危険があるということで禁止されていた。
静電気の発生を抑制するマントの紹介や、防爆仕様のスイッチを引っ張るよう言われたのでやってみると、かなり力が必要だった。

b0367657_18062499.jpg
掘削に使用するロードヘッダーの模型

ここが池島炭鉱のすごいところ。
通常、筑豊炭田などの大多数の鉱物掘削には手掘りが用いられていると思うが、なんとこの炭鉱では掘削作業は機械がやってくれると言う。
背後にある白いジャッキを支保工がわりに使ったそうだ。
驚いたことにジャッキの動力は油圧でなく水圧で、自走しながら位置を変えていくのだそう。

b0367657_18062570.jpg
エアコンプレッサーが動力の削岩機体験

堀之内さんに気に入られたのか、こちらも試してみるよう促されたが、どんな感触か知っているので他の参加者に譲った。

この先は斜坑部に続いていたがかなりの傾斜だった。
車では到底登れない、30%ぐらいの勾配がありそうだった。

b0367657_18411941.jpg
安全標語?

2001年の炭鉱閉山後は、ベトナムとインドネシアからの研修生を受け入れていたそうだ。
今やその取り組みさえ行われていないようだが、彼らの残した筆跡が。
安心はなんか違くないか、とふぁんすぃーと二人でコソコソ話す。

さて地上に出たら午前の部終わりで解散という流れだった。
午後は島を散策し、17時台の便で帰ろうと予定していた私たちだったが、思わぬ事件が起こった。

つづく



ランキング参加してます。良かったら1日1回押してください。
にほんブログ村 日本一周(バイク)





[PR]

by aroundjapan | 2016-11-16 15:23 | 2016 池島炭鉱 | Comments(0)