今日は午後から電車に乗って盛岡へ。
オガールのある紫波中央駅、住民の作った請願駅だそうで施設も新しい。
20分以上乗るのだが電車賃は320円、安い。
在来線と新幹線は並走していて、高速道路もそう遠くはない。
岩手県は盛岡・花巻がこのライン上に位置し、機能が集中しているのがわかる。
だが、それも日本地図を広げれば当たり前だ。
奥羽山脈と北上山地に挟まれ、迂回しながらも青森へ抜けるこの盆地はインフラを敷くのに打ってつけ、発展せざるを得ないだろう。
これまた父の知り合いのAさんという女性に盛岡を案内していただいた。
まずは材木町通りの和菓子屋さん。
城下町なので関連した地名が多い。
桜の木が全て菓子で出来ているそうだ。
飴細工かと思ったら、落雁のような素材らしい。
作製した後も湿度の管理など手が掛かりそうだ。
猿も全て菓子で出来ている。
二軒ほど隣の光原社へ。
宮沢賢治の注文の多い料理店を出版するのに奔走した二人の若者が設立した出版社で、今は各地から取り寄せた高級な民芸品などを販売するスペースとなっている。
宮沢作品をイメージしたイラストの色使いが好み。
福岡から取り寄せられていたものに、浮羽の棕櫚箒(しゅろほうき)というものがあった。
品質が良く、タワシと共に全国において評価が高いらしい。
Aさんも使っていたそうだ。
地元の特産品でも知らないものがまだまだある。
可否館という喫茶スペースの有する中庭が、ジブリの魔女の宅急便に出てくるような雰囲気で、従業員の制服もそのイメージに近いものだった。
そういう趣味の人にはお勧めしたい。
続いて啄木新婚の家。
新婚の家と称しつつも、たったの四畳半が夫婦の占有スペースだったようだ。
その後転居して二人きりで家を持ったそうだが、この家に嫁に来るのは肩身が狭そうで現代では考えられないかもしれない。
続いて盛岡地方裁判所内の石割桜を探訪。
一眼では何の変哲もない桜の木ではないか、と思う。
だが、この大木は石の中に芽を出し成長して石を割ったそうである。
なんと生命感に満ち溢れた話であろうか。
本当か嘘かはともかく、今現在として根は石の間にある。感動してしまった。
くねくね道の先は岩山展望台。
住民なら知っている程度の中規模の展望だろうと思っていたが、意外にも広々とした景色を見渡せた。
標高は343mだそうだが、盛岡が盆地だからだろうか。
展望台には鹿島建設の元社長の像があり、岩手県から鹿島家に婿入りしたらしい。
彼を思って息子がこの展望台を寄贈したようだ。
夜景が綺麗そうだ。
柵にはカップルが掛けた南京錠がいくつも。
展望台には大抵カップルが南京錠を掛けていく。
続いて盛岡八幡宮へ。
立派な建物で赤をメインとする色も鮮やかだった。
最近塗り替えられたものだそう。
日本酒あさ開の酒造へ。
と言っても私は全く飲めないので、お土産屋の入口数メートル前ですでにクラクラした。
下手にお菓子の試食なんてすると、アルコールが入っていそうで恐ろしい。
旧岩手川酒造鉈屋町工場は、盛岡市が買い取って観光施設としてリニューアルしたもの。
外観はそのまま残されていて、昔懐かしい看板であったり、戦後の盛岡市民の生活文化を紹介したビデオが流れていたりと、外国人を連れてくるにも面白い場所かもしれない。
ただし懐かしい看板は昔のものすぎて、ギリギリ昭和生まれの私には何一つわからなかった。
Aさんは分かるらしかった。
Aさんと話をしていて気づいたことがある。
宮沢賢治をはじめ、盛岡出身の著名人はほぼ全て県立岩手中学(今でいう高校か)を卒業していて、Aさんもそうらしい。
思わずAさんに「すごいですね!」と返したが、「当たり前よ!ここらで学校といえば当時はそこしかなかったの。学校ってそれからあとに沢山出来たのよ」という返事。
つまり”学校を出ているだけですごい”時代なのだ。
なるほど確かにAさんはいわゆる団塊世代にギリギリ該当するが、彼らやその子供の第二次ベビーブーム世代の数に合わせて学校は無作為に増えたようだ。
私の通った小学校は創立からの歴史が長いが、今年廃校となってしまった。
現在は子供の数が本当に少ない。
それでも戦後から子供の一番多い時期に合わせた学校の数が存在しているわけだから、廃校の学校が多数出て当たり前ではないか。
空き家や荒れ地なども同様である。
数の減っていっている生産年齢人口(15〜64歳)も、都市に集中していると思う。
自分の母校がなくなるのは本当に悲しかったが、諸行無常。
日本の現状を考えると当たり前のことのようだ。
ちなみに今年発表された年齢別人口によると、日本の人口の4分の1は65歳以上らしい。
日本中回っていると、余暇と経済力のある65歳以上の方には頻繁に出くわす。
感覚的には60代なんて高齢者に含まれないし、70代も前半ならバリバリ働いてるという人も割と見かける。
女性ならば80代で登山を趣味としているタフな人もいるから驚く。
男性だけではなく女性も、今まで高齢者とされてきた人たちも、みんなを上手く働かせないと、日本が国として機能しないから「一億総活躍」なんて言われている。
さらには外国人も労働力として取り入れようとしている。
私のいた建設業界でも、時代の変化に対応しようとする取組みが顕著だった。
ここの展示施設の中にもあった土蔵。
東北に来ると、農家が多いからかよく見かける。
土蔵=食料品を備蓄するためのもの、という思い込みがあったが、実は食料品に限らず古い洋服やアルバム、書籍など物置として使用している家がほとんどだそう。
農家にとって土蔵を所有することはある種のステータスで、憧れだったそうだ。
商家なので、天井を嫌ったらしい。
こんな種類の日本式住宅もあったのだな。
2階に隠し部屋があったりと面白い作りをしている。
平民総裁として知られた、岩手の偉人・原敬墓地へ。
彼は自らの墓地も大袈裟にするなと言い残したと言われ、見てみると一般人となんら変わらないお墓。
日本でも西に行くほど墓石は豪華になっていくから、それよりはもっと質素かもしれなかった。
少なくとも、原敬の墓より私の祖父の墓の方が大きい。
それぐらい、偉そうにすることを毛嫌いしたという。
さて、原敬の読み方は正式にはハラタカシだが、Aさんを含む何人もの生粋の岩手県民がハラケイと読むので毎回心の中で「ハラタカシじゃないのか」と突っ込んでいた。
しかし、調べるとこの読み方は有職読みと言って決して間違えているわけでもないそう。
下の名前を有職読みする事で、敬意を表すそうで戦前には好んで使われたそうだ。
日本語って本当に奥が深い。
続いて新渡戸稲造生誕の地。
こちらはアメリカ人女性と結婚した氏らしく、生涯を終えた地ビクトリアをイメージしたハンギングバスケットで華やかに彩られている。
Aさんが「岩手が、岩手と言われるようになった由縁を見に行ってみましょう」と連れて行ってくれたのが、鬼の手形を見ることの出来る三ツ石神社。
神社というよりはほぼ巨石である。笑
昔この地で悪事ばかり働いていた鬼がいた。
神様は鬼たちに、二度と悪事を許さないと追い出す時に証拠としてこの三つの石に、鬼の手形を残させたという。
岩に手形で岩手だ。
日本で一番大きい県名の由来は物語仕立てだった。
そのあと門がやたらと大きい寺院?に連れて行ってもらったが、全部を記録しているわけではないので忘れてしまった。
詳細募集。
いつの間にか日も沈みかけていたので、Aさんの父親が始めたという商店で商品を見せてもらう。
在庫品の倉庫に入れてもらったが、幼い頃私の家にもこういう物置があって、父がキャンプ道具や自転車や車のホイールを溜め込んでいた。
その物置は今はもうないが、置いてあった自転車や原付バイクは私が乗るようになった。
物置の匂いが懐かしかった。
さんさ踊りで使用するという草履も置いていた。
駅ビルでせっかくなら冷麺などの岩手名物をご馳走したいと言ってくださったが、二人ともトンカツが好物だったので満場一致でトンカツを頬張った。
「名物じゃなくて良いのかしら」と言いながらも、すでに商品サンプルを吟味し始めたAさんにさらに親しみを覚えた。
帰りはTさんの家まで送ってくださった。
Tさん夫妻も車で30分程の距離に居ながらAさんには数年ぶりに会ったということで、私をきっかけに話も弾んでいたようで嬉しくなった。
ちなみに後ろのポスターは、Tさん夫妻が東京で岩手の特産品フェアに出品した時に、山手線の中吊り広告に起用されたそうだ。すごい!
ナビを使わなかったので、真っ暗な県道で道を間違えたりしながらもたどり着いた。
Aさんはハキハキしていて、とても楽しい方だった。
ありがとうございました。
さんさバージョンのとふっち。
見て回った観光地数
12箇所
使ったお金
電車賃¥320
お茶¥160
Save iwate ステッカー¥162
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# by aroundjapan | 2016-07-27 13:56 | 日本一周 | Comments(0)