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69日目 盛岡観光

おはようございます。

今日は午後から電車に乗って盛岡へ。

オガールのある紫波中央駅、住民の作った請願駅だそうで施設も新しい。
20分以上乗るのだが電車賃は320円、安い。
在来線と新幹線は並走していて、高速道路もそう遠くはない。

岩手県は盛岡・花巻がこのライン上に位置し、機能が集中しているのがわかる。
だが、それも日本地図を広げれば当たり前だ。
奥羽山脈と北上山地に挟まれ、迂回しながらも青森へ抜けるこの盆地はインフラを敷くのに打ってつけ、発展せざるを得ないだろう。

これまた父の知り合いのAさんという女性に盛岡を案内していただいた。

まずは材木町通りの和菓子屋さん。
城下町なので関連した地名が多い。

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桜の木が全て菓子で出来ているそうだ。
飴細工かと思ったら、落雁のような素材らしい。
作製した後も湿度の管理など手が掛かりそうだ。

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猿も全て菓子で出来ている。

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二軒ほど隣の光原社へ。
宮沢賢治の注文の多い料理店を出版するのに奔走した二人の若者が設立した出版社で、今は各地から取り寄せた高級な民芸品などを販売するスペースとなっている。
宮沢作品をイメージしたイラストの色使いが好み。

福岡から取り寄せられていたものに、浮羽の棕櫚箒(しゅろほうき)というものがあった。
品質が良く、タワシと共に全国において評価が高いらしい。
Aさんも使っていたそうだ。
地元の特産品でも知らないものがまだまだある。

可否館という喫茶スペースの有する中庭が、ジブリの魔女の宅急便に出てくるような雰囲気で、従業員の制服もそのイメージに近いものだった。
そういう趣味の人にはお勧めしたい。

続いて啄木新婚の家。
新婚の家と称しつつも、たったの四畳半が夫婦の占有スペースだったようだ。
その後転居して二人きりで家を持ったそうだが、この家に嫁に来るのは肩身が狭そうで現代では考えられないかもしれない。

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続いて盛岡地方裁判所内の石割桜を探訪。
一眼では何の変哲もない桜の木ではないか、と思う。
だが、この大木は石の中に芽を出し成長して石を割ったそうである。
なんと生命感に満ち溢れた話であろうか。
本当か嘘かはともかく、今現在として根は石の間にある。感動してしまった。


くねくね道の先は岩山展望台。
住民なら知っている程度の中規模の展望だろうと思っていたが、意外にも広々とした景色を見渡せた。
標高は343mだそうだが、盛岡が盆地だからだろうか。
展望台には鹿島建設の元社長の像があり、岩手県から鹿島家に婿入りしたらしい。
彼を思って息子がこの展望台を寄贈したようだ。

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夜景が綺麗そうだ。
柵にはカップルが掛けた南京錠がいくつも。
展望台には大抵カップルが南京錠を掛けていく。

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続いて盛岡八幡宮へ。
立派な建物で赤をメインとする色も鮮やかだった。
最近塗り替えられたものだそう。

日本酒あさ開の酒造へ。
と言っても私は全く飲めないので、お土産屋の入口数メートル前ですでにクラクラした。
下手にお菓子の試食なんてすると、アルコールが入っていそうで恐ろしい。


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旧岩手川酒造鉈屋町工場は、盛岡市が買い取って観光施設としてリニューアルしたもの。
外観はそのまま残されていて、昔懐かしい看板であったり、戦後の盛岡市民の生活文化を紹介したビデオが流れていたりと、外国人を連れてくるにも面白い場所かもしれない。
ただし懐かしい看板は昔のものすぎて、ギリギリ昭和生まれの私には何一つわからなかった。
Aさんは分かるらしかった。

Aさんと話をしていて気づいたことがある。

宮沢賢治をはじめ、盛岡出身の著名人はほぼ全て県立岩手中学(今でいう高校か)を卒業していて、Aさんもそうらしい。
思わずAさんに「すごいですね!」と返したが、「当たり前よ!ここらで学校といえば当時はそこしかなかったの。学校ってそれからあとに沢山出来たのよ」という返事。
つまり”学校を出ているだけですごい”時代なのだ。

なるほど確かにAさんはいわゆる団塊世代にギリギリ該当するが、彼らやその子供の第二次ベビーブーム世代の数に合わせて学校は無作為に増えたようだ。
私の通った小学校は創立からの歴史が長いが、今年廃校となってしまった。

現在は子供の数が本当に少ない。
それでも戦後から子供の一番多い時期に合わせた学校の数が存在しているわけだから、廃校の学校が多数出て当たり前ではないか。
空き家や荒れ地なども同様である。
数の減っていっている生産年齢人口(15〜64歳)も、都市に集中していると思う。
自分の母校がなくなるのは本当に悲しかったが、諸行無常。
日本の現状を考えると当たり前のことのようだ。

ちなみに今年発表された年齢別人口によると、日本の人口の4分の1は65歳以上らしい。
日本中回っていると、余暇と経済力のある65歳以上の方には頻繁に出くわす。
感覚的には60代なんて高齢者に含まれないし、70代も前半ならバリバリ働いてるという人も割と見かける。
女性ならば80代で登山を趣味としているタフな人もいるから驚く。
男性だけではなく女性も、今まで高齢者とされてきた人たちも、みんなを上手く働かせないと、日本が国として機能しないから「一億総活躍」なんて言われている。
さらには外国人も労働力として取り入れようとしている。
私のいた建設業界でも、時代の変化に対応しようとする取組みが顕著だった。

ここの展示施設の中にもあった土蔵。
東北に来ると、農家が多いからかよく見かける。
土蔵=食料品を備蓄するためのもの、という思い込みがあったが、実は食料品に限らず古い洋服やアルバム、書籍など物置として使用している家がほとんどだそう。
農家にとって土蔵を所有することはある種のステータスで、憧れだったそうだ。

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商家なので、天井を嫌ったらしい。
こんな種類の日本式住宅もあったのだな。
2階に隠し部屋があったりと面白い作りをしている。

平民総裁として知られた、岩手の偉人・原敬墓地へ。
彼は自らの墓地も大袈裟にするなと言い残したと言われ、見てみると一般人となんら変わらないお墓。
日本でも西に行くほど墓石は豪華になっていくから、それよりはもっと質素かもしれなかった。
少なくとも、原敬の墓より私の祖父の墓の方が大きい。
それぐらい、偉そうにすることを毛嫌いしたという。

さて、原敬の読み方は正式にはハラタカシだが、Aさんを含む何人もの生粋の岩手県民がハラケイと読むので毎回心の中で「ハラタカシじゃないのか」と突っ込んでいた。
しかし、調べるとこの読み方は有職読みと言って決して間違えているわけでもないそう。
下の名前を有職読みする事で、敬意を表すそうで戦前には好んで使われたそうだ。
日本語って本当に奥が深い。

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続いて新渡戸稲造生誕の地。
こちらはアメリカ人女性と結婚した氏らしく、生涯を終えた地ビクトリアをイメージしたハンギングバスケットで華やかに彩られている。


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Aさんが「岩手が、岩手と言われるようになった由縁を見に行ってみましょう」と連れて行ってくれたのが、鬼の手形を見ることの出来る三ツ石神社。
神社というよりはほぼ巨石である。笑
昔この地で悪事ばかり働いていた鬼がいた。
神様は鬼たちに、二度と悪事を許さないと追い出す時に証拠としてこの三つの石に、鬼の手形を残させたという。
岩に手形で岩手だ。
日本で一番大きい県名の由来は物語仕立てだった。

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そのあと門がやたらと大きい寺院?に連れて行ってもらったが、全部を記録しているわけではないので忘れてしまった。
詳細募集。

いつの間にか日も沈みかけていたので、Aさんの父親が始めたという商店で商品を見せてもらう。
在庫品の倉庫に入れてもらったが、幼い頃私の家にもこういう物置があって、父がキャンプ道具や自転車や車のホイールを溜め込んでいた。
その物置は今はもうないが、置いてあった自転車や原付バイクは私が乗るようになった。
物置の匂いが懐かしかった。
さんさ踊りで使用するという草履も置いていた。

駅ビルでせっかくなら冷麺などの岩手名物をご馳走したいと言ってくださったが、二人ともトンカツが好物だったので満場一致でトンカツを頬張った。
「名物じゃなくて良いのかしら」と言いながらも、すでに商品サンプルを吟味し始めたAさんにさらに親しみを覚えた。

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帰りはTさんの家まで送ってくださった。
Tさん夫妻も車で30分程の距離に居ながらAさんには数年ぶりに会ったということで、私をきっかけに話も弾んでいたようで嬉しくなった。
ちなみに後ろのポスターは、Tさん夫妻が東京で岩手の特産品フェアに出品した時に、山手線の中吊り広告に起用されたそうだ。すごい!

ナビを使わなかったので、真っ暗な県道で道を間違えたりしながらもたどり着いた。
Aさんはハキハキしていて、とても楽しい方だった。
ありがとうございました。

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さんさバージョンのとふっち。


見て回った観光地数
12箇所

使ったお金
電車賃¥320
お茶¥160
Save iwate ステッカー¥162

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# by aroundjapan | 2016-07-27 13:56 | 日本一周 | Comments(0)  

68日目 遠野河童伝説

おはようございます。

今日は日曜日。
農家の毎日に休日はないが、Tさんが遠野に連れて行ってくれるそうだ。

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まずはオガール紫波。
紫波町の町役場の隣の敷地にあり、ホテルやバレーボール専用体育館、図書館、カフェ、産直マルシェなどが同じ建物の中に同居している。
自治体が民間と協力して立ち上げた地域再生事業といえるだろう。
オガールという変わった名称は、フランス語で駅=ガールと紫波の方言で大きくなる=おがるを組み合わせた造語らしい。
ちなみにTさんの加工品はこちらの産直マルシェにも納品している。

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町役場も見せてもらったが、こちらも地場の木材がふんだんに使われていてシンプルだ。
地方の新市庁舎によくあるコテコテのRC造ビルとは一線を画し、誰もが好感を持てる。
いわて国体の開催広告を岩手のどこに行っても見かけるが、紫波町では自転車競技を行うそうでそばっちが自転車を漕いでいる。



1時間ほどかけて遠野へ。道の駅にて休憩。
多田さんの作ったチーズプリンがとろけて美味しい。
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伝承館を見に連れて行ってもらった。
遠野の曲がり家とは、厩(うまや)を家の隣に作っているもので、この辺ではそれだけ馬を大切にしたそうだ。
ちなみに紫波の方ではさらに馬を大切にしたとかで、厩を南向き(遠野とは逆)に配置したそうだ。

語り部の話がサービスでやっており、向かい合って話してくれる形でいくつか昔話をしてくれる。
東北の訛りや言い回しがあるが、合間に訳してくれるので理解しながら楽しめた。

オシラサマ伝説というのは、娘が馬に恋してしまったことをよく思わない父親が馬を殺してしまったというものらしい。
その馬の頭部を神様のように考えて祀ったそうだ。
頭部を模した木にハンカチ大の布で出来たお願い事がたくさんかけてある。
四方に見上げるように敷き詰められていたそれには若干の恐怖があった。

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養蚕が盛んということで何故か生けし蚕の幼虫がてんこ盛り。(気持ち悪いので見ない方が良い)

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続いてお隣のカッパ淵へ。
理由はよくわからないが、この地には河童が出ると信じられている。
竿に紐でくくったキュウリを吊るしておくことで河童は釣れるらしく、釣りに興じる(?)人もいた。
入口付近ではホップを栽培していた。
蔦が上に伸びるようにロープを這わせるらしい。

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遠野は本当に河童だらけ。
右下は駅前の交番だが、入口上はよく見ると河童の顔をしている。

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遠野駅に、JR釜石線を利用した銀河鉄道が停車する時刻に見に行ってみた。
駅員に引率された座敷童子の格好をした子供達が、降りた客をもてなそうとしていたのか、何か買ってもらおうとしていたのか、駆け寄っていった。

この列車、蒸気機関車部分が2両目以降を牽引しているのではなく、2両目以降はディーゼル機関で動いているらしい。
鉄道マニアと思われる小学生男子がそれを見抜いていたので、おかしかった。
久しぶりにSL列車を見た。

お昼時だが駅の周りに飲食店は豊富になく、お土産屋併設の店で具材でSLをかたどったSLラーメンを頂いた。
自称カッパ店長が頭にお皿を乗せ、背中に甲羅を背負い、接客していた。
うーん…

遠野ふるさと村を歩く。
広い園内に点在する建物を歩いて見て回ると、年配の女性が机についてポテトチップを広げていたので驚いた。
聞くとボランティアの女性が茅葺屋根の維持で燻す当番をしているそうだ。
なんだ、自宅かと思った。

なぜかこの日はコスプレイヤー達の写真撮影大会があっていて、洋邦問わず何某かのヒーローに成り切ってポーズを決めていた。
茅葺屋根の前で撮るのが雰囲気出るのだろうか。
それにしてもシュール。
厩(うまや)に白い馬が飼われている曲り家があり、優しい顔つきをしていた。
東北の地名には千厩、三厩など厩の字が入った地名がある。
きっと馬は人間の生活に欠かせないパートナーだったのだろう。


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園の最後にバッタリという装置を見つけた。
水流を利用して脱穀するものらしい。
鹿おどしと同様の仕組みで、杵で突く衝撃で穀物のヌカを取ったりするらしい。
水車も同じ仕組み。水車の仕組みを知らなかった…


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その向こうには菖蒲が遠野のふるさとの景色を彩っていた。

お土産品を販売している場所で獅子祭りの獅子舞が飾ってあった。
どうやら神聖な存在らしいが、険しい顔つきで恐ろしい。

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夕食をいただいて、ラ・フランス温泉に連れて行ってもらった。
矢巾と紫波の山沿いにあるのだが、プールやウォータースライダーの併設された大規模な施設で賑わっていた。
雫石で入った温泉の泉質と似ていてぬるぬる。
奥羽山脈系の温泉は皆似ているようだ。

さらに私の一番行きたかった場所へ連れて行ってもらった。

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花巻にある壁画。
宮沢賢治作 銀河鉄道の夜の世界観で描いたものだそう。
壁面にブラックライトを照射すると浮かび上がる絵で、昼間は何も見えないらしい。
カワサキの会報誌で存在を知ったのだが、花巻に来たならこれは見ておいたほうがいい。
斜めに撮影して一枚に収めているが、大きさは高さ10m・幅80mと巨大で、迫力がある。
何枚も写真を撮影して、見に連れて来てもらえた事に感謝した。


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# by aroundjapan | 2016-07-24 06:50 | 日本一周 | Comments(0)  

67日目 花巻アルテマルカン

おはようございます。

曇りなのか雨なのか?、とりあえず朝は雨が降っていたのでゆっくり過ごすことにした。
Tさん所蔵のDVDを見ることにした。

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地元テレビ局、IBC岩手放送の作成した津波の記録。
前半が視聴者から寄せられた津波の瞬間の三陸各所での映像。
後半が復興への歩みという構成。

三陸はすでに宮城県・気仙沼市、岩手県・陸前高田市、大船渡市と見ていたのだが、宮城県・仙台市から青森県・八戸市まで三陸海岸のほぼ全てにおいて相当な被害だったようだ。
震災当時のニュースと言えば、田んぼに津波が走っていくような速さの映像が思い出される。

この映像は、実際に住んでいる人たちが撮影しているため観ていられないような場面もあった。
車を押し流し、家を押し流し、自分の町が海の中に飲み込まれていく様子を撮影しながら、大の男が「なにが防波堤だよぅ、やめてくれよう、誰かとめてくれよぅ」と涙声で叫んでいるところが見ていていたたまれなくなった。
気仙沼に行ったときに知ったが、三陸海岸では明治時代以降だけで三度四度と津波の被害に遭っている。

今回のほとんどの映像において、住民は皆津波が防波堤を越えて来るとは思っていなかったようで、危機感を持たなかった人が特に逃げ遅れて命を落としてしまったようだ。
それぞれの町にどのように津波が襲ったのか、町を破壊したのか。
衝撃的な映像だった。

後半にも触れられていたが、国民全員の防災意識をもっと高める必要がある。
特に海岸に住む人は、もし津波が襲った際の避難方法ひとつで助かるか否か決まってしまう。
映像の中でも低い位置で避難したつもりになっている人、すぐそこに迫っているのに車に乗って行こうとする人、色々いた。
とにかく高台に上がることが重要だ。

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お昼に冷やし中華を頂いたあと、利きリンゴジュース大会。
いずれも生産しているリンゴをジュースにしたもので全6種類。
左からジョナゴールド、きおう、金星、さんさ、サンフジ、はるか。
数種類しか飲んでいないが、ジョナゴールドは透明感が高く酸っぱく、はるかは甘かった。
リンゴの種類なんてジョナとフジぐらいしか知らなかったが、リンゴによって味はもちろん、濃度や透明度といった見た目も違う事に驚いた。


曇り空を伺いながらゴロゴロしていたが何となく外に出たかったので、15時過ぎに思い立って花巻にある宮沢賢治記念館へ。
記念館に着くところまでは良かったが、40分ほど見てから外に出ると雨に降られていた。

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土産物屋の併設されたレストランは注文の多い料理店、山猫軒。

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入口にあった、よだかの星をイメージした彫刻。
宮沢作品はよだかの星が一番好き。

記念館自体の展示はというと、私は宮沢賢治についての基礎知識がほぼ無いのもあり、彼があれ程科学や仏教に傾倒していたのかという驚きがあった。
彼の心象世界を表現したコーナーは理解するに至らず、どういった生涯を送ったのかを知ることはできた。
彼は文筆家というよりは宗教者で、科学と空想という対極のものを同じベクトルで見ていたようだ。

そして彼は生前、人に称えられることもなく短い生涯を終えたが、弟をはじめとする親類に言葉は悪いがビジネスとして利用されここまで広く日本人に浸透したのだと思う。
直接関係は無いが、文学として功績を収める人の中には科学も宗教も分割される事無く渦巻いている者も多い。
理系で文学に没頭するのは異端だと思っていたが、どうやらそうでも無いらしい。

その後は親友が最近この辺りの土地にゆかりが出来、来訪したという地域に根ざしたデパートへ。
探しているうちに、上がっていたはずの雨に降られてしまった。

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閉店していた。(知ってはいたが、こういう貼り紙を目の当たりにすると少し哀しい)

その代わりになるかは不明だが、近くにある姉妹店へ。
閉店してしまったデパートの方では、地元民の愛する、箸で食べるのを強いられるほど爆盛りのソフトクリームがあったそうだがこちらにもあるのだろうか。

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地元のダイエーや旧岩田屋(いずれも大型スーパーやデパート)にあったフードコートを思い出す。
たこ焼きやフライドポテト、ラーメンなどの軽食を提供している。
何百円か出せば小腹を満たせるようだ。
平日の夕方だが、ご覧のように中高生や子連れで賑わっていた。

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ソフトクリーム150円。
残念ながら爆盛りとまではいかない、やや盛りぐらいか。
それにしてもこの価格でこのボリュームは安い!
雨天だが果敢に食す。
味も申し分ない。

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東日本には、いまだドライバーに麺類やスナック類を24時間提供する自動販売機がいくつも現存するという。
コンビニや低価格のチェーン飲食店の台頭によりほとんどは姿を消してしまった。
当然福岡ではほとんど見かけないのだが、宮崎でドライブしている時には廃墟と化したドライブインはまだ見つける事ができた。
(※詳しいサイトによるとこの手の自動販売機は九州には皆無といっていいそうだ、理由はわからない)
古い看板や建物に興味のある私は当然立ち寄りたくなるのだ。
こちらの店舗は営業中。
置いてある機体はほぼゲーム機だが、一つだけカップ麺の自販機があり、コインランドリーが併設している。
ドライブインとしての役割は終えようとしているのかも知れない。

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ゲーム機の景品となっている物は、なんと大半がエ◯本。
カプセルに入った下着なんかもあった。
普通、ゲームセンターにおいて子供は当然必死になって景品を取ろうとするが、この店で血眼で操作している大人がいるとしたら怖い。
幸い客は2名で、それぞれがガンダムのようなゲームとスロットのようなものに興じていた。

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こちらが一機だけあるカップ麺自販機。
ただ購入して取り出すのみで湯はポットから注ぐらしい。
私の好奇心はいささかも満たせなかった。

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部屋が繋がっていて、コインランドリースペースに入れる。
待合席が電車の椅子のようだった。

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日詰駅の裏に、岩手山を代表とする奥羽山脈に日が沈んでいく景勝スポットがあった。
濡れた舗装に光線が反射し、赤く輝いていた。
刻々と夏に向かう大地。

盛岡から宮城の仙台あたりまでは奥羽山脈と北上山地に挟まれた盆地地形が続いている。
青森へ抜ける高速道路や新幹線もここを走る。
夏は暑く、冬は寒いそうだ。

夕飯の支度が出来たそうなので、景色に後ろ髪引かれながら帰る。


走った距離
紫波→宮沢賢治記念館→アルテマルカン桜台→ドライブインラベンダー→日詰駅→紫波
58km

使ったお金
宮沢賢治記念館¥350
ソフトクリーム¥150
給油¥1124

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# by aroundjapan | 2016-07-21 23:47 | 日本一周 | Comments(0)  

66日目 八幡平アスピーテライン

「おはようございます」

朝6時前。
畳の上で目が醒めると、ブランケットを掛けたまま上体を起こしていた白髪のおじさんに「おはよう。」と言われ、反射的に返した言葉。
おじさんと少し会話すると、気を付けて!と言われすぐに居なくなった。

シュラフとマットを片付けてバイクに取り付けようと、昨晩から夜中まで降った雨はわりと多かったようでバイクカバーに溜まっていた。
水滴を払っていると、自分の親ぐらいの年齢の女性に話しかけられた。
キャンピングカーに乗って夫婦で旅してるらしく、昨晩もここに泊まっていたようだが最近は親の介護などで遠出が出来ないそう。
せめて気分だけでも旅人になりたくて、ちょくちょく見かける私のような浮浪人に話しかけるそうだ。
東北の名所を色々と教えてもらった。
「〜なのよ」と言うのを「〜っけ」と言うのが県北部の方言のようだ。
1時間ほど話したが、まだ7時前だった。

昨日買っておいた餅とせんべい汁で朝食にする。
朝はまだ冷える。
寒くて外に出たくないので、ルート決めと称してゴロゴロしていたら8時を過ぎかけていた。

駐車場も混んでしまう前に出たかった。
仕方がないので出発。
今朝は八幡平アスピーテラインに向かう。
とは言ってもツーリングマップさえ持たない私には何のこっちゃわからない。
秋田側と盛岡側の入口があるそうなので、岩手山を見ながら登れるという盛岡側から行くことにした。

地図で見ると道の駅からはそれほど遠くないように見えるが、山頂まで2時間かかるそうだ。
岩手山の麓は小岩井農場の牧場があり、牛を見ながら走る。
携帯のナビで走っているので全く何処だかよく分からない。
文明の利器の多用は良くない。

立ち止まると牛と目があう。

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排気音を発する見慣れない動物に見えているのだろうか。
麓から見た岩手山はガスっていて、折角の八幡平も何も見えないのではないかという不安がよぎる。
だが戻っても行く場所がないので迷いは捨て、登ることにした。
車両も見ないし派手な看板も出ていないが、唯一舗装された路面に歓迎された。

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アスピーテラインの起点側には幾つものスノーシェッド。
この明るいトンネルは何処かタイムマシンのように思える。
トンネルの向こうが未来だろうと過去だろうと、違和感がないような。
キツめのRを慣性力と遠心力のバランスで潜り抜ける。

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山頂付近は雲の上。
飛行機が高度を上げたときのような青空があった。
雲はエアブラシで描いたように流れていた。
山頂レストハウスの下に無料駐車場があったので向かうも、広場に中学生ぐらいのジャージを着た子供達が整列して座り込んでいたため進入出来ず。
しかも斜面に停めてある軽バンの前に突っ込む形で行ってしまったので、身動きが取れなくなってしまった。

下り勾配で後進は出来ないし、どうしたもんかと中学生たちの視線を受けているかもしれない(不運にも座っている前側でやってしまった)ため、バイクをひっくり返さないように、車にぶつけないように慎重に切替え砂地の上に前進…を繰り返し何とか逃げ出せる格好となった。

二輪に乗っていると、わずかな判断ミスで危機的状況に陥る。
抜け出せた時の安堵も良いものだが、出来ることなら斜面に駐車場は作らないでもらいたい。

そんなこんなでレストハウス付設の駐車場に100円を払って停めることにした。
この100円は自分の至らなさに払うお金だ。

空腹だがレストハウスの食堂で食べるような余裕は私にはない。
せめてもの景色も今ひとつである。
あの得体の知れない中学生たちはというと、何に向けたものかは知り得ないが八幡平レストハウスの周囲のゴミ拾い活動をやってくれていた。

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秋田側に少しだけ下った場所の眺めが最高だった。
雲の上を走っているようだ。

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山から下りてきても、まだいたの?とばかりに牛がこちらを見ている。
視線を交わす事のできない黒いヘルメットを身に付けた私は、脚のない動物に跨って排気音ともに走り去った。

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道の駅石神の丘で弁当を買って食べた。
岩手町の米の上に岩手町のキャベツ、岩手町の豚肉を岩手町のせんべいを混ぜた粉で揚げ、岩手町の味噌を混ぜたドミグラスソースをかけて岩手町の野菜ピクルスを添えたそうだ(…ぜぇハァ)
味はそこそこ美味しかったが、ソースとご飯が合わなくて完食がキツイ。
こちらはジャムをジュースにしたような、美味しいブルーベリーで流し込む。

売っていたので気になったが、キャベツソフトクリームを食べる余裕は無くなった。

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4号線を下っていると、気付けば緑と青空の間にいた。
岩手がこんなに広々とした土地とは思わなかった。
例えがおかしいかもしれないが、空の広さはまるで北海道のようだ。

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今日は紫波町のリンゴ農家Tさん宅にお邪魔する。
Tさん一家は、120年ほど前作られた昔ながらの住居に今も住んでいる。
住職用の玄関や風呂の前の土間、神棚と仏壇で3つあったりと、私には概念すらない設備が当たり前に存在している。
ところでW650は日本の風景にしっくり来ると思うのだが、いかがだろうか。

お茶を頂いて休憩した後、奥さんが加工品を直売所に納品しに行くと言うのでまず支度。

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シール貼りなどを行った後、数量を確認。
盛岡まで着いて行って搬入のお手伝いをさせてもらった。
酒田のSさんのところで大体の要領は掴めた。

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夕食を食べたあと、乾燥リンゴとアップルパイを試食させてもらった。
乾燥リンゴは食感豊かで、噛むほどにリンゴの味が出てくる。
久しぶりにこんなに顎を動かした。子供のおやつに最適。

アップルパイは、開封した瞬間バターの香りが広がり食欲をそそられる。
カスタードは使っていないので、皮ごと使用したリンゴはしつこくなく程よい甘さ。

Tさんは奥さんと会社を立ち上げ、もち米やリンゴ農家の仕事に加えて前年に収穫されたリンゴを低温で管理し、加工品として出荷している。
盛岡市内のスーパー、マルイチにてポムダムールとして出荷しているので興味のある方はご購入お願いします。


走った距離
道の駅雫石あねっこ→八幡平レストハウス→道の駅石神の丘→紫波

使ったお金
八幡平レストハウス駐車場¥100
昼食¥670

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# by aroundjapan | 2016-07-20 16:09 | 日本一周 | Comments(0)  

65日目 大移動日

おはようございます。

今朝もカプセルホテルで目覚め。
5時に起きるつもりが6時にしか起きられなかった。
疲れてるのかね。
シャワーを浴びて駅前のバイク置き場へ。
外に出ると久しぶりの日光が眩しかった。

公式ホームページで取り扱い店舗になっているセブンイレブンが近くにあったので、むすび丸グッズがあるか聞くとまだ置いてないとか。
どういうことだ。
仕方なくバイクで作並駅に行くも、駅自体は開いているが誰一人いない。
もうすぐ宮城県から山形県に移る。
だめだこりゃ、諦めよう。

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ダブルとカラーリングが同じシリーズ第二弾
宮城県作並のこけし(第一弾は新潟県小千谷市の錦鯉)
SAKUNAMI SPAの不自然さが際立つ。
車体色見えてないし…
関係ないが、こけしを見ると吉田戦車の漫画の登場人物を思い出す。

先に進むとかなり空腹を感じていた事に気付く。
昨日の晩は何も食べてないんだ、無理もない。
途中立ち寄る道の駅むらやまにはブッフェがあるらしく、朝食にブッフェを食べる想像で一杯になった。
色々取ってやろうってね。

道の駅に着いてまずは手土産を購入。
さて、期待の朝食はいかがなものかな。
ブッフェコーナーは幕がかけられていた。
ん?
朝食の看板を見て愕然。
牛丼屋の朝食みたいなものしか無いではないか。
まぁいい、フライ定食か納豆定食か迷った挙句、納豆定食の食券を押していた。

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人の疎らな道の駅からバイパスを眺めつつ、いただきます。
うん、おいしい。
味噌汁が特に美味しかった。
さらに、売店で売っているものと同じような麩が載っていたので良しとしよう。

駐車場でバイクに乗るというご夫婦に声をかけられる。
旦那さんはバイク乗りでW650とCBで迷ってCBにしたらしい。
少し傾向が違う気もするが…
CBでどこか行きたいなぁと言っていた。

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その後R13をたどっていくと東根付近で晴れていたはずの空が不穏な色に。
新庄では霧雨にあった。
カッパを着込まねばならないほど気温も下がっていた。

秋田県に上陸し、道の駅おがちにて昼休憩。

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きりたんぽ耳かき、すごくバランス悪そう。誰が欲しいんだ。
さらに小町の萌え系イラストなどを発見し、秋田に来たんだなあという実感。
今日中に岩手に入ってしまうので束の間だが。

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稲庭うどんを月見で食べた。
これは美味しい!
出汁も麺も好みだった。
もう一杯いけそうなほど美味しかった。
故郷から遠く離れた地で口に合う食べ物があると随分嬉しい事も、同時に発見した。
揚げ玉はセルフサービスで、福岡の最強うどんチェーン・ウエストを思い出した。

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道の駅かみおかで今日は終了するつもりでいたが、まだ15時前。
思ったより早く到着したため、田沢湖まで足を伸ばした。
湖にたつこ像と言われる金色の少女の像があった。
恥じらう姿がいじらしい(?)
正直言うと存在さえ知らなかったのだが…。
ちょうどこの像の存在を教えてくれた日本一周友達から電話が。
電波が悪くほぼ会話ができなかったが、彼女は先に北海道へ行くそう。

ここも素早く見終えてしまったので、さらに足を延ばすことにした。
次の道の駅を本日の最終目的地としよう。

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その前に少し寄り道。
道を間違えたと思うが、抱返り渓谷という看板が出ていたので進んでみた。
エメラルドグリーンの水だった。

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東へ向かっていると、牛の模様の馬が居た。
放牧されていたが、何なのだろう。
熊に食べられませんように。

山間部に入るとぐっと冷え込んだ。
路面の気温計は17℃ほどを指していた。
道の駅着。
土産屋を見て回り、翌朝の食料を購入。
温泉も併設されていたので、迷った挙句入浴して時間をつぶすことにした。
とろとろしていて泉質は良かった。

宮崎で働いていた頃、土曜出勤の後は週末のご褒美として都城にある温泉に1時間かけて通っていた事を思い出した。
そこの泉質に似ていて、九州との距離感を再び無くした。

温泉で休憩して出ると日も落ちて、いい時間になっていた。
何処かで買ったうどんに、もつカレーを入れて食べたが茹で汁が多く味が薄かった。
食べ終える頃には、休憩スペースではすでに二人イビキをかいていた。


走った距離
仙台→R47→作並駅→道の駅むらやま→R13→道の駅おがち→道の駅かみおか→抱返り渓谷→田沢湖→道の駅雫石あねっこ
何キロだ

使ったお金
納豆定食¥380
お土産¥1080
うどん¥500
夕食兼朝食¥356
温泉¥510
給油¥1019+986=2005

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# by aroundjapan | 2016-07-19 12:18 | 日本一周 | Comments(0)